猜疑心(疑い深い)が強い人‥
猜疑心とは、相手の行為などを疑ったり妬んだりする気持ちのことで、どちらかというとネガティブな意味合いで用いられます。
つまり、猜疑心の強い人とは、他人を信じられない人や他人のことをうらやましく思ってしまう傾向が強い人のことを指します。
「信じたい気持ちはあるのに、人を信用できない…」そんな悩みをひそかに抱えている人もいるかもしれません。人を信用できないのは、自分の気持ちもやるせなくつらいものですよね。今回は、人を信用できない人の心理を分析し、人を信用できるようになるヒントをご紹介。ぜひ参考にしてください。
猜疑心が強い根本原因‥
私はカウンセリングを受ける皆様に、すべての悩みの原因は自信のなさだとお話しています。猜疑心が強くなってしまうのも、自分の自信のなさが原因です。
詳細はカウンセリングやセミナーでお話しますが、自信があれば必要以上に疑いません。自信がないから疑い深くなり、ネガティブ思考も強まります。次第に自分の決断も疑い始めるのは、まさに自信のなさが影響を与えています。
猜疑心が強い人は家庭環境も影響している!
「猜疑心が強くて悩んでいる」「猜疑心の強さで人間関係が上手くいかない」年齢や性別を問わず、こうした声はよく寄せられます。人の言動を素直に受け取らず、疑って見てしまうことが猜疑心です。
疑いの気持ちが常に浮かぶのは辛いですし、幸せな未来が待っていません。ここでは、私のの視点で、猜疑心が強い人の心理背景や特徴を解説します。
幼少期の記憶・親の影響‥
私たちの自信のなさは、幼少期の記憶が影響しています。生まれた時から自信がない人はいませんし、猜疑心の強い赤ちゃんもいません。
大人になる中で自信が持てなくなり、猜疑心も生まれてしまうのです。また私たちは親との関係が、すべての人間関係のスタートです。親と関わる中で自信のなさ形成され、猜疑心が強くなることもあるのです。
「親が信用できなかった」「親に否定されることが多かった」「親も猜疑心が強かった」
例えばこうした場合は、子どもにも悪影響が及んでしまいます。
悩みは形を変えて繰り返されます‥
付き合う相手や環境を変えても、悩みは繰り返されます。
「異動や転職をすれば…」「引っ越しをすれば…」猜疑心が強い状況が改善されることはありません。周りが変わっても自分が変わらないと、猜疑心が強くなってしまうのです。
その意味で猜疑心が強い状況は、時間が解決してくれることはありません。
猜疑心が強いのを克服するために‥
カウンセラーの視点で、猜疑心が強いのを克服する方法を2つに分けて解説します。この方法を繰り返し実践することで、猜疑心を少しずつ手放せる様になります。
① 自分の気持ちを声に出す‥
先ずは「自分の気持ちを声に出すこと」です。猜疑心が強い人ほど、自分の気持ちを言葉(声)に出していません。声に出さず、頭の中で考える癖がつよくあります。
私たち人間の脳は頭の中で考えるほど、ネガティブ思考が強まる習性があります。一説では1日に考える事柄の90%が、ネガティブな内容だとも言われています。
猜疑心が生まれるのは、決まって頭の中で考えている時です。疑いの気持ちも含め、どんな気持ちも自分で声に出すことが、現状を変えるための第一歩です。
ちなみに自分の気持ちを声に出す上では、大好きなぬいぐるとか、柔らかいタオルいとか、とにかくふんわりと肌触のいいものを触るみのが効果的です。
詳細はカウンセリングやセミナーでも解説していますが、意識してぬいぐるみに触れることで、自分の気持ちを声に出しやすくなります。
②「どうしたいのか?」と自分に問いかける‥
そして声に出した後は、「どうしたいのか?」と自分に問いかけることです。「どうしたいのか?」の主語は自分自身。猜疑心が強い時ほど、自分を主語にして問いかけられていません。自分より先に相手のことを考えてしまうのです。
「〇〇した方がいい‥」「〇〇するべきだ‥」「〇〇しなきゃいけない‥」「〇〇して欲しい‥」「〇〇してあげる‥」
例えば、これらは自分を主語にできておらず、相手のことを先に考えている状態です。相手のことを先に考えるほど、疑いの気持ちが出てきたり、自分に自信も持てなくなってしまいます。
また「どうしたいのか?」ではなく、「どうしたらいいのか?」と思う時にも、猜疑心は強くなります。
「どうしたいのか?」と問いかけ、自分を主語にして行動することは、猜疑心を手放すために不可欠です。
猜疑心を持ち続けても、幸せな未来は待っていません。人間関係が悪化したり、ストレスを感じることも多いのです。自分の決断にも自信が持てなくなり、人生が前に進んでいる実感も持てなくなります。
猜疑心に悩まされる根本原因は自信のなさです。自信のなさと向き合い、2つの方法を実践することで、今から現状は変えられます。
「疑い」の罠から抜けだすには「与える」こと‥
「疑い」の心理に陥ると、私たちは探偵にでもなったかのように、その証拠探しに明け暮れて、それでエネルギーを消耗しきってしまいます。「疑い」とは自分自身を信じられないことの投影なのですが、それを手放していくためには「与える」ことを意識することが大切です。
① 疑いは、自分自身をはめるための罠‥
「疑い」は、エゴ(他人の迷惑を考えず、自分の利益を追求する行動や考え方のこと)がしかける最大の罠のひとつだと私は思います。それはあなたを前に進ませないよう足を引っ張るためのものです。
より高いレベルの意識や流れに入る準備ができたとたん、疑いがあなたを襲いはじめます。これがエゴの最大の罠なのです。そして、多くの人がパートナーシップに疑いを抱くようになるのです。この人は自分にとって真実のパートナーなのだろうか?という疑いで心が消耗してしまうのです。疑いとは、あなたの心を縮こまらせ、助けを求める声を聞かせないためのものだからです。
誰かに手を差し伸べたとき、あなたは自然に流れを動かしたのです。その瞬間にすべての疑いから抜けだすことはできなかったとしても、少なくともひとつの枠から抜けることになります。疑いは罠だということを知り、それを使って自分をとめないようにしてください。
② 「疑う」ことの心理‥
「本当にこの人でいいんだろうか?」と、何かを「疑う」、誰かを「疑う」。そうした「疑い」の目を向けるとき、私たちは立ち止まり、身動きが取れなくなってしまいます。
パートナーシップや仕事、プライベートな人間関係など、さまざまなところで「疑い」の心理が出てくることがあります。
「本当に、この人を信じていいんだろうか?」「ウチの会社、この先大丈夫かな?」「この営業マンの話を信じていんだろうか?」など、いろんな場面で私たちは「疑い」を抱いてしまうものです。
そうした「疑い」の目を人に向けてしまうと前に進むことを忘れてしまい、一生懸命証拠探しをしはじめます。しかも、なぜかその「疑い」が正しいことを証明するために証拠を探してしまうのです。
「もう浮気なんてしないから」という夫(パートナー)を信じたいのに、隠れて浮気の証拠探しする人もいます。心の中で、きっと大丈夫だと言い聞かせているものの、会社の過去の売上を調べてみたり、取引先の過去のトラブルを調べてみたりします。
「疑い」の念を持つと、私たちは探偵にでもなったかのように、その証拠探しに明け暮れて、それでエネルギーを消耗しきってしまいます。それによって、次の一歩を踏みだす力がなくなってしまうのです。
こうした「疑い」の心理は、私たちをその場に縛りつけてしまいます。それは見方を変えると、私たちが前に進もうとするときほど「疑う」心理が湧いてくる、と見ることもできます。
パートナーシップにせよ、会社やプライベートの人間関係にせよ、新たな関係性に入ろうとするときほど、こうした「疑い」が出てくるものです。
だから、「疑う」ことが一概に悪いことだとも言いきれないのです。だから「疑う」心理が出てきたときは、こう聞かれているのかもしれません。
「どうする?疑う?それとも、信じる?」「ここにとどまる?それとも、一歩前に踏みだす?」信じること、可能性を信じて前に踏みだすことが怖く感じるほど、「疑う」方向に心が向いてしまいます。
一体、何を信じるのが怖いののでしょうか?それは自分自身なのです。パートナー、会社、他の誰かを「疑う」とき、私たちは自分自身を疑っています。自分自身を信頼せず、疑ってしまっているだけに、それを外の世界に映し出しているわけです
この自分自身のことを信じるのは、私たちにとって何よりも怖いものです。自分の才能、魅力、持ち味、価値。そうしたものを受けとるのは、本当に怖いのかもしれません。だから「疑う」という方向に、心のエネルギーを使ってしまうわけです。これが「疑う」ことの心理です。
私たちは、疑っている間、相手の落ち度をずっと探し続けます。そんなことをしたところで相手との関係性がよくなるはずがありません。小さなほころびを見つけ「それ見たことか!」とあげつらってしまう人もいます。
そのほころびの他に、大きな愛情を与えられていたとしても、受けとるどころか、それに気づかないままでいたりします。かくも、「疑う」という心理は、私たちの心と、周りとの関係を蝕んでしまうのです。
③ 自分の価値を見るためには「与える」こと‥
「疑う」心理は、結局のところ、自分自身を信じられないことから湧き出てくるものです。何を信じられないかといえば、自分の可能性であったり、ビジョンであったりします。それならば自分を信じましょう、ということにはなりますが、じゃあどうやって?となりますよね。それこそ、自分を愛するという永遠のテーマになってしまいます。
自分を信じる、自分を愛するための方法は、それこそ無限にあると思いますが、ここでは引用文に沿った方法をお話していきたいと思います。それは「与える」ことを意識する、ということです。
「なんだ、そんなことか」と思われたかもしれません。「疑う」心理には入り込んでしまったとき、私たちの心は縮こまります。相手を疑い、自分を疑い、そして引きこもろうとします。その疑っていることを証明する事実を探し出しては、悲劇のヒーロー、ヒロインになろうとします。そうした状態から抜け出るために必要なのは、自分から「与える」ことを意識することです。
「自分の助けを必要としている人は、誰だろう」と問いかけをしてみてもいいし、自分が与えられるものは何だろう、と考えてみることも有効です。
「そんな人はいない」「与えられるものなんてない」なんて思わないでください。「ある」という前提で探す、というのがポイントです。
誰にでも、どんな状況でも。与えられるものが、必ずあります。もしかしたらそれは、ほんの小さなことに感じるかもしれません。その人に想いを馳せることや、あるいは、そこにいる、というだけのことかもしれません。けれども、必ず何かは「ある」のです。
それを「与える」という意識でやってみることです。それをしているうちは、「疑う」ことに心が囚われることが少なくなります。
相手を、自分を疑いたくなったときは、与える、与える、与える、です。ぜひ、意識してみてください。何かが変わってくるはずです。
そして、周囲の意見を受け入れて心を開いてください。自分自身が「猜疑心」が強いかも?と思った場合は、ぜひカウンセリングを受けてみてください。カウンセリングを受けることで、何がそうさせているのかに気づくことができるはずです。周囲の人の意見を受け入れ、心を開くようにすれば、もっと生きやすくなるはずですよ!