頑張っても報われない人‥

VOl.2 |  2025年6月10日

頑張っているのにどうしてうまくいかないのだろう。そんな思いを抱えたことはありませんか?努力しても報われない。何かが足りない気がする。そんな焦りの中で自分を責めてしまうこともあるでしょうね。

でもそれは、努力不足ではなかったのかもしれません。必要なのは変化していくとです。

いくら種をまいても土壌が乾いていれば芽は出ません。つまり、私たち自身のあり方が変わらなければ、どれだけ頑張っても前に進めないときがあるのです。

本日のコラムでは、努力では届かない壁を越えるためのお話をしたいと思います。少し長い文章となりますが、ゆっくり読んでいただければと思います。

「もっと頑張らなければ‥」、そう自分に言い聞かせながらこれまでの人生を歩んできた方は多いでしょう。私もその一人です。

一生懸命に努力し、真面目に物事に取り組んできたはずなのに、なぜか報われない。思うように結果が出ない、どこか空回りしているような感覚。

そんなもどかしさを抱えながら「それでも自分がもっと頑張れば」とさらに自分を追い込んでいく人がいます。

それは決して間違いではなく、否定するものでもありません。努力は尊いものですからね。

けれど、その努力が思うように実を結ばないとき、必要なのは量ではなく、方向の見直しだということに気がついてほしいのです。

頑張りすぎることで苦しみが生まれるのです。努力そのものを否定するのではなく、その努力がどこに向かっているのかを見極めることが大事なんです。

今の自分自身という土壌が固く、変化を受け入れられない状態であれば、いくら努力しても成果は出ません。これはあなたの努力が足りないのではなく、古い自分のままで努力しているから人生がうまく動かなくなっているのです。

まず、自分自身のあり方を見つめ直すことが人生の鍵を握ることになります。私たちは、努力すれば報われるという考えを強く信じています。

しかし、どれだけ頑張っても、その前提が間違っていれば、苦しみはいつまでも続くということに気づいてほしいのです。

「こうあるべきだ‥」とか「失敗してはいけない‥」とか「もっと認められなければいけない‥」、そういった思い込みの中で努力をしていくことは、まるでブレーキを踏みながらアクセルを思いっきり踏み込んでいるようなものです。

心と体は一つです。行動を変えるだけでなく、心の状態も整えることが必要です。

努力とは単なる行動ではなく、心の方向性が伴ってこそ初めて意味を持ちます。つまり、変わることとは心のあり方を見直すことであり、その変化があってこそ「行動=努力」が生きていくのです。

だからこそ、あなたが今、頑張っても報われないと感じているなら、それは自分を責めるサインではなく、むしろあなたに変化のときが来たという合図なのです。

古い考えを少し変えるだけで人生の風向きが変わることがあります。ここで、人生を川の流れに例えてお話しします。

水は流れ続けるからこそ澄んでいます。流れが止まれば水は濁ります。停滞すれば水は腐っていきます。

人の心も同じです。動こうとしない自分を責めるよりも、まずはその流れに乗る準備をすることが大切ですね。

人生には勇気が必要です。でもそれは、何も大きな決断である必要はありません。小さな選択、いつもの習慣を少し見直すことです。

「こうするしかない!」と思い込んでいた考え方をそっと緩めてみるのです。それが変化の第一歩になります。緩めれば、あなたの中にある本来の力が静かに動き出すはずです。

変化とは「執着」や「思い込み」を手放すことです。これが実に難しいんですよね。

あなたは、「こうあるべきだ!」に囲まれて生きています。ちゃんとしなければ人に迷惑をかけてしまう。我慢するのが大人だと。

気づけばそれらが自分の行動や思考の罠はまってしまい、知らず知らずのうちに自分らしさとして染みついていきます。

けれど私は、こうした思い込みに問題を投げかけたいですね。それは、本当にあなたの本音なんですか?と。

心の世界でも「我」という言葉を用いて「自我のこだわり」を超えることについてお話しします。

我とは、固定された自己イメージのことです。「私はこういう人間だ」「自分にはこれしかできない」その思い込みが変化の目を摘んでしまっています。

例えば、「自分は内向的だから人前に出るのは向いていない」と思い込んでいたとします。その思い込みのままでは、新しい仕事にも、人との出会いにも、自らブレーキをかけてしまいます。

しかし、それは今までのあなたがそうだっただけで、本当は少し違う選択もできるはずです。変化とは劇的な行動ではありません。変化とは日々の中にある、小さな、いつもと違う選択をすることです。

いつもなら我慢していた場面で思いきって自分の本音を言ってみる。遠慮していた誘いに少し勇気を出して参加してみる。

そんな一歩がやがて大きな人生の転換につがっていきます。

仏教ではこうした選択の積み重ねを修行と言っていますよね。特別な山にこもることだけが修行ではなく、自分自身と向き合い、少しずつこだわりを手放すことこそが真の修行だと言っているんだと私は理解しています。

弘法大師空海は「執着こそが心を縛る」とっています。こうでなければならない、という強い思い込みは、時に努力よりも厳しく自分を苦しめます。

それを手放すことは自分を諦めることではありません。むしろ自分の本当の可能性に出会うための最初の扉なのです。

変化には心の痛みが伴います。今までの自分を壊すような怖さ、慣れ親しんだ価値観との別れ。しかし、その痛みを否定する必要はありません。苦しみは成長の糧と言われる通りです。あなたが変わりたいと願うなら、まずは何を手放すかを考えてみてください。

過去の失敗なのか、誰かの評価なのか、完璧であろうとする思いなのか。

それらを少しずつ緩めていくだけで心の風通しがよくなります。私が伝えたいのは、誰でも変わっていいという「自分へのやさしさ」を持つことです。

繰り返しますが、あなたは、いつでも、どこからでも変わることができます。ただそのためには、「こうであるべき」という「べき思考」を自分の手で少し変えいくことが必要です。

変化とは何かを足すことではありません。むしろ必要のないものを削ぎ落とし、しなやかに生きる準備を整えることです。そうした変化の先にこそ、あなた本来の姿が浮かび上がってくるのです。

他人の目を気にせず、自分基準で生きることです。「これをしたらどう思われるだろうか‥」「変だと思われたくないな‥」「嫌われたら困る‥」、こうした感情が私たちの行動や選択に影響を与えていることは少なくありません。

他人の目を気にすることは人として自然な感覚ですが、それが行き過ぎると自分の本音や願いを置き去りにしてしまいます。他人の評価に心を委ねることになります。

「他を見ず、まず己を見よ」という言葉をきいたことあるでしょう。これは、自分自身の内側にこそ生きる基準を持つべきだと教えているんだと私は解釈しています。

人の目は移りやすく、期待も行為も、時に裏切りへと変わります。そのような不安定なものに自分の価値を委ねていては、心はいつまでも落ち着つくことはできません。

多くの人は、自分に自信がないときほど、他人の評価に頼るようになります。よく見られたい、認められたい、その気持ちはとても人間らしいものですが、それに縛られ続けてしまうと自分が何を望んでいるのか分からなくなっていきます。

人に褒められるために努力する。失敗した時の評価が怖くて新しいことに挑戦できない。そうした心の在り方は、どこかで自分自身の人生を生きていないという感覚を生み出してしまいます。

大切なのは自分を見つめる姿勢です。自分自身を寄り所とし、自分の心に従って生きるということです。

他人の期待に答えるのではなく、自分の内側にある真実に耳を傾けるべきです。それが自分の人生を取り戻す第一歩になります。

いまの社会で、人との関わりを避けて生きることなんてできませんよね。だからこそ必要なのは人を大切にしながらも、自分を犠牲にしないという生き方です。

相手の期待に答えるのではなく、自分の誠実さを基準にするのです。そうすることで人間関係にも健やかさが生まれていきます。

変化には痛みや不安が伴いますが、それが成長のサインです。変わりたいと願うことは簡単ですけれど、いざ一歩踏み出そうとすると思いの他不安が押し寄せてくるものです。

慣れ親しんだ生き方を変えるということは、安心していた場所を離れることでもあり、そこには必ず心の揺れ、不安が生まれます。

この揺れを否定したりする必要などありません。むしろその不安や痛みこそがあなたが本当に変わろうとしている証だと自分に語りかけてあげてほしいのです。

私たちは変わることにとても恐れを感じます。なぜなら、それはこれまでの自分を少なからず否定することでもあるからです。

本当にこの道でいいのか、失敗したらどうしよう。こんな不安が胸に広がるとき、人は住み慣れた場所に戻りたくなります。

それは間違いではなく、今まさに古い自分から離れつつある証なのですよ。

私たちは、環境や役割、過去の評価に応じて生きてしまうことがありますよね。でも本当に自分を生きたいと願ったとき、その仮面を外すことが求めらられてきます。その仮面を外す瞬間に恐怖と痛みが生まれるのです。

仮面を外せば傷つくこともあるかもしれません。恥ずかしいかもしれません。

でも同時に自分の素顔を受け入れ、真の自由に近づいていくのです。変化に伴う痛みは孤独にも似ています。

誰にも理解されないのではないか、自分だけが取り残されてしまうのではないか、そんな気持ちに襲われることもあるでしょう。

心の変化の中で感じる静かな不安や痛みを否定することなく受け入れていくことで、少しずつ心が強くしなやかになっていきます。

だから、痛みを恐れないこと、不安を敵と見なさないことです。

例えば、同じ職場にいても、楽しそうに働いている人と、常に不満を抱えグチっている人がいます。与えられた環境は同じはずなのにどうしてその受け止め方にこれほど違いがあるのでしょうか?

それは心の状態がそのまま現実の見え方に影響を与えているからです。つまり自分の内面が変われば世界の見え方が変わり、人間関係や日常の風景さえ違って感じられるようになります。

あなたが日々ストレスを感じていたとしても、その中で感謝できることを1つ見つけるだけで心の空気が変わることがあります。

それが積み重なれば同じ状況にあっても以前ほど苦しさを感じなくなるかもしれません。

そして不思議なことに、自分の内面が整ってくると周りの態度も柔らかくなったり、助けや出会いが増えてきたりします。

静かな時間を持ち、自分の心の状態に目を向ける。怒りや不満の奥にある本当の感情に気づくこと。それによって心の濁りが少しずつ澄んでいくのです。

自分を変えたいと思うとき、まずは自分の心のあり方を見直してみてください。不平不満焦り怒りといった感情に気づいたらそれを否定せずやさしく見つめてあげてください。

最後に、変化は結果よりもプロセスが重要だということを付け加えておきます。

「頑張ったのに結果が出なかった」「これだけやったのに評価されない」、そう思って落ち込んだ経験は誰にでもあるはずです。

私たちはどうしても結果に価値を置いてしまいます。目に見える成果よりも変化に向かって進む過程にこそ意味があると思うことが、わかっていながらなかなかできないのです。

結果がどうであれ、変わろうとする姿勢そのものが尊いものだと思うべきですね。

あなたの中で今日変わったことは何でしょうか?少しだけ早く起きられた、いつもより穏やかな気持ちで過ごせた、人に少し優しくなれた。そんな些細なことこそが変化の証なのです。

努力が報われないと感じるときほど、自分を凄いじゃないかと褒めてあげてください。昨日の自分より一歩前に進んでいるなら、それは立派な進歩です。

結果を追い求めて自分をスリ減らす生き方ではなく、過程を味わいながら、丁寧に歩む生き方を大事にしてください。

山を登るようなものです。山頂ににたどり着くことだけが目的なのではつまらない山登りですよね。道中のきれいな風景、楽しい会話に目を向け、思いっきり楽しんでください。

それがあなたの心を豊かにしてくれます。だから変化を焦らないでください。過程の中にこそあなたの成長が生きづいているのです。

大切なのは変わることそのものよりも、変わっていく自分を認めてあげることです。

変化の途中には必ず揺れがあります。不安も葛藤もあります。でもその揺れを通してしかたどり着けない場所があります。

あなたが変わることを誰も否定などできません。あなたを邪魔をすることはできません。

もう一度言いますね。

今日を明日を焦らなくていいのです。一歩ずつ自分の小幅で歩けばいいのです。あなたが、あなたのままで変わっていけることを静かに支え続けてくれる人は必ずいます。

いかがでしたでしょうか。長文でしたから疲れたでしょう。

今日のテーマは「頑張っているのに報われない人」そんな思いを抱えていた方にとって、少しでも心が軽くなる話、気づきになれば幸いです。

焦らず、自分のペースで、小さな選択を変えてみてくださいね。その積み重ねがきっと、あなたを静かに動かし始めてくれます。

今日のテーマが、あなたの心にそっと火を灯す時間になったならとても嬉しく思います。