
他人との比較・嫉妬を手放す‥
Vol.7| 2025年6月17日
本日のテーマは「他人との比較と嫉妬を手放す」で書いていきます。
嫉妬という言葉は、実は特定の誰かが名言として残した言葉ではありません。嫉妬は人間の煩悩(人間を悩ませる欲望や執着、怒りや嫉妬などの負の感情 )の中でも取り分け深いものです。
例えば、食いべたい、寝たいといった欲望を極限まで抑えたお坊さんが、最後の最後に残ったのは、名誉欲と嫉妬だった、なんて話を聞いたことがあります。
それほどまでにしつこい感情、それが嫉妬なんです。今日はその嫉妬がなぜここまで厄介なのかを一緒に考えていきたいと思います。最後まで読んでくださいね。
ではお話します。私たち人間は、気づけばいつも誰かと比べてしまっています。職場では成果を出している同僚を見て落ち込んだり、腹が立ったり、SNSでは楽しそうに過ごす友人の写真に心がざわついたり。
家族の中ですら誰かと比べられたりして、自分に足りない物ばかりに目がいってしまいます。
私には何もない、どうしてあの人みたいになれないんだろう。そんな思いが胸に広がるたびに、心は静かに傷ついていくのです。
人が苦しむのは、自らの光を見失い、他者の光ばかりを見つめているからなんです。
私たちは、比較や嫉妬という心の苦しみから静かに解放され、本当の幸せに近づいていくためにどうしたらいいのかをお話ししていきたいと思います。
もしあなたが今、自分はダメだと自分を否定的に見ているなら、どうか最後までこの話に耳を傾けてください。その心にそっと光が差し込むきっかけになるはずです。
ではここで、あなたはなぜ、他人と比べてしまうのだと思いますか?
人は自分を忘れたとき、他人を見るようになるのです 。
比較とは、決して他人の方が優れていると気づくことではありません。それは自分が見えなくなっていることの静かなサインです。
私たちは無意識のうちに、誰かの人生を覗きみて、私は足りない、何かが欠けていると思い込んでしまいます。けれど、それは幻想に過ぎません。
現代のSNSはまさに演出された幸せが並ぶ場所です。幸せな瞬間だけが切り取られ、成功の裏側、本当の真実は見えてきません。
それを現実だと信じたとき、私たちの心は静かに削られていきます。
自分を見失うとき、苦しみは始まります。
あなたが、自分の心の内側に深く目を向けたとき、全ては満ちていたと気づくはずです。だからこそ今すぐ始めてください。
まず、私の中にある足りているものを書き出してください。紙を1枚用意し、そしてこう自分に問いかけてください。
私の中には何がすでにあるだろうかと‥
例えば、今日もご飯を食べることができた、話せる人が1人いる、眠れる場所がある、言葉にできないけれど前を向いて歩き続けようとしている自分がいる。難しく考えず、なんでもいいんです。
比較によって心が曇ったと感じたときは、すでにあるものに光を当ててください。これが心を整えるの最初の一歩です。
「あの人ばかり輝いて見える」、ふとそんなふうに感じたことはありませんか?でも、私は、あなたにこう問いかけたいのです。
本当にその人が眩しいですか?それとも、あなたの目が自分を見失っているだけではないですか?と。
私たちは他人の持っているものに嫉妬するとき、実はその人を羨んでいるのではありません。本当は自分の中にある願いや欠けたままの感情に気づいていないはずです。
嫉妬はその気づかれていない自分の思いの叫びなのですよ。
人は他人の輝きに目を奪われるとき、自分の光を見失ってしまうものです。
あなたが今感じている嫉妬は、本当は私もこうありたいという願いの裏返しです。
だからこそ嫉妬の感情を否定するのではなく、その奥にある本音を見つめましょう。
嫉妬が湧いてきたら、自分にこう聞いてみるのです。私は何を欲しがっている?この感情の奥にどんな私の願いがあるの?と。
例えば‥
注目されるあの人が羨ましい。私は認められたいと思っている。幸せそうな夫婦に嫉妬する。私は安心できる居場所が欲しい。
この問いかけを続けることで、嫉妬はあなたの本当の望みを教えてくれる鏡になります。
他人に向いた目を自分に戻す。それが本来のあなたの心に帰る道なのです。
私たちはいつも何かを求めることに忙しいのです。もっと認められたい。もっとお金が欲しい。もっと幸せになりたい。
仏教ではこう言いっています。「求める前にある、を感じよ」と。
この言葉の背景には深い心理を知るという知恵が流れていると思います。
比較や嫉妬が心を覆うとき、私たちの視線は常に外へ、未来へ、まだやっていないないものへと向かっています。
それはつまり、ないものばかりを見つめている状態です。そうなると、どれだけ手にしても満たされないでしょうね。
大事なのは、新たに得るものではなく、元々備わっている物に気づくことです。
つまり、すでにあるものに目を向けることこそ心を整える出発点だということです。
毎晩、自分の満たされているものを書き出す。1日の終わりに、今日感じた小さな満足を3つ書いてください。
天気が気持ちよかった、コーヒーが美味しかった、人から挨拶された。
これは″観"よく見るという実践とつがっています。日々の中ですでに手にしている喜び、可能性、優しさ、それに気づく習慣が心の不足感を柔らげていいきます。
幸せは得るものではなく、気づくもの。
この視点が人生を変えていきます。誰かの幸せと比べるのではなく、自分の中に宿っているすでにあるものへ目を向けてください。
それが、あなたに伝えたかった真の満足への第一歩なのです。しかし私たちは多くの時間を他人の道として生きています。
他人の評価、他人の成功、他人の生き方、気づけばその地図に自分の人生を当てはめようとしています。
そうした他人に合わせた人生に警鐘を鳴らしたいのですね。それは、自ら歩む道が何よりも尊いのだということを。
人と同じ道を歩けば確かに安心できるかもしれません。しかし、その道にはあなたの心が宿ることができません。だからこそ、いつまでもこれで良かったのかと揺れ続けてしまうのです。
比較をやめ″志‟を持つことの力が必要です。
他人に習うことではありません。自分の心の奥にある志を磨き続けることなんです。
志とは、何のために生きるのかという、内なる火です。他人にどう見られるかではなく、自分が何を大切にしたいかに意識を向けることです。
志を持つ人は気持ちがブレれることはありません。他人がどれだけ先を歩いていても、自分の足元を見て一歩一歩自分のリズムで進むことができます。
朝からスマホを見るのではなく、自分の心と向き合ってみてください。そして次の質問を自分に投げかけましょう。今日、私はどんなことをを大切にしていきたいか。
例えば‥
誠実であること、丁寧にやること、優しく人に接すること、仕事に集中すること、静けさをもつこと、なんでもいいんです。
その日1日どんな結果が出ようとも、この価値に沿って行動できたなら、あなたの道は確かに前に進んでいくはずです。
他人と比べてどうかではありません。昨日の自分より、少しでも深く己の道を歩めたか、です。
Aさんは、熱心で真面目な性格です、ある日から急に心を乱出すようになりました。原因は同じ会社の同僚のDさん。そのDさんはいろんな面で知識も深く、礼儀よく、皆から一目置かれていたのです。Aさんの心に芽えたのは嫉妬でした。
なぜ自分ではなく、Dさんが評価されるのか、自分はあれほどの才能もなく賞賛も得られない。こんな思いが邪魔をし、仕事に集中できず焦るばかり。そして、自分の無力さを責め、苛立ち、落ち込み、さらに嫉妬が強くなってしまいました。
まさに負の連鎖に落ち込んでいたのです。
人の真似をやめ、自分と向き合っていくうちに、Aさんは、初めて自分のうちにあるものに目を向けるようになれました。
Aさんは感動して涙をにじませました。嫉妬していたDさんに勝ったのではありません。ただ自分の中にしかない心に気づいたのです。比べるよりも見つけること。それはこういうことです。
嫉妬とは、自分の光を他人の照り返しで測ろうとすることです。だけど、本当の光は自分の中に静かに灯っているのです。
そしてそれに気づくには、ノートに書くでも良し、散歩するのでもよし、家の中を掃除をするでもよし、です。
私たちは、1つのことに心を込めて向き合う時間がもっと必要なのです。自分に戻るとは自分の感情を見つけるということ。それこそが嫉妬からの解放になります。
本当の幸せとは誰かと比べて手に入れるものではないことくらい、あなたは知っているはずです。
それは、あなたの心にそっと咲く、静かで美しい花のようなものです。これは、華やかでも派手でもないけれど、日々を生きる人の心に静かに根を張っていくものです。
私たちは日々、人の幸福にさらされながら生きています。SNSのタイムラインには誰かの成功誰かの笑顔、誰かの手に入れたもの、テレビには年収の高い人や有名な人が紹介され、街を歩けばブランド品やきらびやかな暮らしが目に入ります。
そんな中でふと自分の持っているものが色褪せて見える瞬間があります。
自分は何もない、もっと手に入れなければ。このままでは何もない人間だと思われる。こうした思いが私たちの心の余白を少しずつ蝕ばんでいくのです。
「他人の心を見るな、まず己の心を見よ」です。そこに安らぎあります。
他人の光を追いかけるあまり、自分の今ある良さを見落としていませんか?
日々の生活の中に取り入れる3つの心を整える、①習慣、②呼吸、③瞑想、1日たった3分で良いんです。ゆっくりと鼻から息きを吸い、ゆっくりと吐き出す。
今ここにしか存在しない呼吸に意識を向けることで、過去や未来から心を解放することができます。
無言の時間、スマホもテレビも閉じて、ただ音のない時間を10分過ごす。沈黙の中で浮かんでくる感情を追いかけずにただ見る。
「沈黙は心の鏡である」と仏教ではそう説いています。静けさの中で自分の本当の声に気づくことができます。
夜寝る前にノートに今日の感謝を1つだけ書く。素晴らしい出来事があったかなかったかを探すのでなく、小さな出来事で十分です。朝目覚められた、温かいお茶が飲めた、この小さな満足が自己肯定感を根本から育ててくれるのです。
心の平穏こそ人生最大の財産です。私たちが求めたのは富でも名誉でもありません。それは心が揺れず、ただ静かであるという状態です。
幸福とは特別なことではありません。今ここにいる自分が他人と比べることをやめて、目の前の呼吸や穏やかな午後の光に気づけることです。それこそが比べない心に咲いた本当の幸せの花なのではないでしょうか。
私たちはつい幸せになるには何かを手に入れなければいけないと思い込んでしまいます。もっと優れた才能を、もっと高い収入を、もっと多くの賞賛を。
けれど、それは終わりなき比較の渦に自らを投げ込むようなものです。
特別なスキルや成功ではなく、もっと根源的で、もっと静かな心のあり方です。それは他人と比べず、自分の心に帰ること。たったそれだけなんです。
誰かと比べて勝っても、心に平安がなければ幸福になることはできません。
逆に、例え何も持っていなくても、心が整っていればその人は豊かでいられるはずです。
他人の花を見のではなく、あなた自身の花を咲かせてください。他人の花がどんなに立派に見えても、それはあなたの人生ではありません。
あなたの人生には、あなたにしか咲かすことがでかないきれいな花があります。それが小さな花でも、誇るべき唯一無二の花なのです。
最後に、あなたに伝えたい言葉。それは「幸せは今ここに咲いている」ということです。あなた自身の中にきれいに咲いている花、その花に気づいてください。
比べず、責めず、焦らず、あなたの心に咲く小さくて確かな幸福を、静かに抱きしめてくださいね!