
ありのままの自分って?
Vol.11 | 2025年6月23日
ありのままの自分って何? ありのままの自分がわからない!と言う人がとても多いですね。今日は、ありのままの自分がなんとなくわかってもらえるように、要点簡潔、わかりやすくお話ししていきます。
前半は、″ありのままの自分とは”です。
後半は、″ありのままの自分を取り戻すには”です。
では、前半はありのままの自分とは、です。
ありのままの自分がわからない と言う方に出会った時、相当無理をして生きてきたんだな‥、といつも思ってしまうのです。
なぜなら、自分をよくわかっているはずの自分が、自分をどう思って、どう生きたいのかがよく理解できないほど自分を 強制してきたからではないでしょうか。
なぜこんなことになるのでしょうか?
よくいただく質問の1つに、"自分の 問題にどう向き合い、どう手をつけて良いかわからない"ということがあります。これも似たような感じがします。
本来なら、自分の好ましい環境とか 、人間関係で修正していけばいいのに、それがどうしたら良いかわからない ということは、自分が思う好ましい状況とか環境などがわからないということですね。
これは長い間、自分の本音を封じ 込めて、誰かの期待に応えるように行動したり、感じたりしてきたからだと思います。
例えば、「あなたは今のままで十分幸せなのよ!」と言ってくる人がいるとします。
これって、自分の思いを相手に信じ 込ませようとしている意図が見えるような気がしませんか?
このようなやり方で、今まであなたの 行動や感情までもが操作されてきた可能性があります。これが冒頭に言ったように、ありのままの自分なのではないでしょうか?
ありのままの自分は幸せでもない のに、"幸せだと思い込んできた"
ありのままの自分は嬉しくもない のに"嬉しそうに演じてきた"
‥どうでしょうか?
このように、本来の気持ちを封じ 込めることを"抑圧"と言います。簡単に言えば、我慢するとか、抑えて きたということです。
ありのままの自分って、もっと面白い とか、もっとキラキラしているイメージだったかもしれませんが、抑圧を して生きてきた人のありのままの自分は、涙が出るほどさみしい感じがしますよね。
さみしいと言いましたが、悔しいと感じる人だっているはずです。
でも、あなたは自分は幸せだと思い 込んできたのです。いえ、もっといえば、幸せだと思い込まされてきたの で、このような本来の感情、さみしいとか悔しいとか、本当は不幸だと 言う感情を抑圧してきたのです。
だから、ありのままの自分がわからない、というのはすごく納得がいきますよね。
このように、ありのままの自分を ちゃんと見ることができたら、ありのままの他人もちゃんと見ることができる ようになります。
では、ありのままの他人を、あなたは 今までどう見ていたのでしょうか?それはあなたに聞かないとわかりませんが、きっと良い人だとか、よくしてくれたなどと思っているかもし れません。
しかし、それもちゃんと見ているかどうか怪しいものです。どこかで良い人だとか、良くしてくれたと思い込もうとしていませんか?
もしそうであるとしたら、それは自分を″二重に拘束″していることになります。
相手に対して、良い感情よりも悪い 感情があるのに、それを否定して好きになろうとしている。
また、感謝しようとしているのは、嫌がる 自分に無理やり厳しい作業をさせていることになります。
ありのままの自分がわからない人の、ありのままの他人は、きっと″心が病んだ人″です。心が病んだ人とは、"依存的で未成熟"ともいえます。
人の持つ自律性(内的要因の独立)とか、心の成熟 を理解できずに、裏切りとか、問題行動だとか、おかしくなった、病気 かもしれないと騒ぎたてます。
だからこういう人たちは、そうならないために自律せず、心を未成熟な子どものままにして、なるべく深く考えない ように生きてきたのかもしれません。
このような間違った心の成長を ″疑似成長″といいます。"疑似成長"とは、いわゆる良い子です。
見た目はいい子に育った感じですが 、心の中は満たされずに、"承認欲求"に明け暮れ、最後には疲れ果てて 、恨みつらみの人生となります。
もし、あなたが疑似成長をしているなら、 これからは承認欲求などに意識を向けずに、自分の心の成熟 をテーマにしていかなければいつかは病んで倒れてしまいます。注意してくださいね!
では、どうやって心の成熟 を遂げていけば良いでしょうか?
この辺は後半でお伝えしたいと思います。後半は、ありのままの自分を取り戻すにはについてお話しさせていただきます。
ありのままの自分を取り戻すには 、ありのままの自分を目をそらさずに見ることです。また、ありのままの他人を目をそらさずにしっかり見ることです。
もう少し具体的にお話ししましょう。
残念ながら著者の名前を忘れてしまいましたが、このようなことを語っていたと記憶しています。
「我々は慣れ親しんだものにしがみつくためなら、殆んどどんな犠牲でも払う‥」
なるほど‥、納得ですね。
私たちが、ありのままの自分も、ありのまま の他人も、見ることができないのは、慣れ親しんだものにしがみついているからです。
つまり、私たちは慣れ親しんだ関係性や自分の信じてきたことが崩れ去るのが怖い、ということです。
中には、そこを見てしまったら自分 がどうなるかわからないと不安を感じる人もいるでしょう。
このようなことをいう人は、どれほど自分が恐れていたかということに気がつくことが大事です。
何もできなくても、自分は今まで やってきたことや信じてきたことを、正面から見るのが怖いのだと気づく だけで良いいんです。もちろん仕返しをする必要など はありません。
では、何をしたら良いでしょうか?あなたは今までは自分の既存の親とか兄弟などとの関係の解決を求めていたかもしれません。
そこに拘りすぎていたことも 、あなたの思い込みの強さであるかもしれません。
あなたの環境が病んだものだったと気づいたなら、そこを変える必要などないのです。
私の環境は不幸だったんだと感じ たら、この①②を考えてください。
① 自分がやることについて理解を 求めないこと。
② この病んだ環境にいたら自分は どうなるかを考えてみる。
自分がやることに理解を求めれば、どのような答えが返ってくるかわかっているはずです。それなのに、執拗に確認するから操作されてしまうのです。
②についても、自分が生きてい くためには、食べ物などの物質的なものだけでなく、心の健康を守る必要があります。それが自分に責任を持つことです。
そして本来は、病んでない環境で、①自分がやることに理解を求める 、②他人を理解するように努力するべきです。
これを病んだ人たちに期待 をしても、その人たちは理解もできないし、邪魔をされるだけです。いかがですか?
今日はこのような話で進めてきました。
前半はありのままの自分とはでした。
あなたが、ありのままの自分がわ からなかったのは自分の本音に嘘をつくように育てられてきた からではないでしょうか。
つまり、好きでないものを好きだと思い、楽しくもないことを楽しいと感じようとした、これは抑圧であり二重の拘束でもあります。
その結果、心が崩壊しかけている のに、どう直したらよいかさえわからなないままにしているのかもし れません。
後半は、ありのままの自分を取り戻すにはのお話しをしました。
ありのままの自分を取り戻すには、ありのままの自分に目をそらさずに見ることであり、ありのままの他人を目をそらさずに見ることです。
その結果、ありのままの自分を見せなくするような、他人に理解を求めるのは無理だと受け止めることです。
今までは理解をしてくれない相手 に理解してもらおうとする不毛な戦いをしていたかもしれません。
相手を期待せず、等身大で見ることがありのままの他人を見ることになります。
いかがですか?
私たちの住んでいる日本は全体的に病んでしまっている世の中だと思います。
それもいま言ってきたような"歪んだ思考"を教え込むことが教育だと、大人の都合でやってきたからだ と私は考えています。
でも、誰も責任を取る人などいません。それが通用するなら、どこまでも大人の利益を享受していたい人 たちは未だに多いかもしれません。
このようなことに薄々気が付いている 人なら、きっとあなたがありのままの自分でいられない理由も、ありのまま の他人の正体も、気づいているはずです。
そのあまり見ても楽しくないような 姿こそが、ありのままの自分であり、ありのままの他人なのです。
でもそれを認めないといけません。つまり今まで 自分の本音に嘘をついてきたことを認めないと、この悪循環を止めることはできません。
そして嘘をついてきたと自分で認めたら、次は嫌いな人を好きになるのではなく、好きな人を好きになるために探していくことができるようになります、
ぜひこれからは、抑圧に負けずに、ありのまま の自分を見てくださいね。
今日は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました!